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2010年・新年明けましておめでとうございます。

さて、年末年始皆様いかがお過ごしでしたでしょうか?
風邪などひいてませんか?絃さんは相変わらず仕事でした (つд`)。
ユータ 「ま、バカは風邪ひかんからな。」 新年早々それかいっ!
「先進もうぜw。」 あうぅ〜っ!。

長瀞から秩父に向けて走った前回、国道299号を通って小鹿野へ向かう。

飯田八幡神社・入り口。 国道299号沿いにある飯田八幡神社。 よく見ると逆駐w。

小鹿野町・飯田で飯田八幡神社に寄ってみる。

本殿前にある社務所。ここで宮司さんからお茶などいただく。

神社の境内に珍しく人影。手に空のペットボトルを持った初老の男性、軽く会釈。

山にいだかれた、まさに<神の社>               本殿が参道に対してはすに構えているところが面白い。

「今年はカメムシが多くてねー。」
見るとペットボトルには大量のカメムシの屍骸。どうやら境内を掃除しているらしい。
「今年の夏、暑かったから増えたんでしょう、カメムシは稲の樹液を吸いますから。」と言うと、
「ああ、なるほど。」
と、納得するので、農家の方ではないだろう。
「お近くの方ですか」 と訊いてみる。
「ええ、ココの宮司です。」

Σ(゜Д゜) 『え?』

これは驚き。ここ最近よく神社巡りしてるけど、たいてい宮司さんは社務所とかに居て会わない。
会わないので、勝手に袴姿の宮司像をイメージしてた。なので、普段着のこの方は近所の方だと思ってた。
「自分の知る限り、先々々代より昔から、ここの宮司の家系なんです。」
・・・だそうです。

って、少なくとも100年以上前からじゃねーかっ!ナディアがアトランティスのお姫様だったぐらい驚いた。
さやか 「絃ちゃん、比喩がおかしい。」 じゃ、シータがリュシータ・トゥエル・ウル・ラピュタだったぐらいw。
「それもおかしいよw。」 モンゴルマンが実はラーメンマンだったぐらい・・・
「先進むね〜。」 はうっ。

風雨に晒された風情のある狛犬。 狛犬。阿と吽・手水舎。 小ぶりだがかなり立派な手水舎。

本殿。 足元の緑は芝ではなく苔。そのため雨の日はえらく滑ります。 正面左手側。

顔料のせいか、他の色が褪せてるのにこの青だけが目立つ。 本殿、奉納絵馬。 右手上部にも同様の群青。

本殿の彫り物の群青が鮮やかで、江戸幕府初代将軍・徳川家康殿の日光東照宮を髣髴とさせる。
実は秩父神社の彫り物も左甚五郎作であり、距離が近いここ飯田八幡に左甚五郎が来た可能性はある。
本人でなくとも弟子が携わったとも考えられる。
あくまで絃さんの憶測なんでなんとも言えんが、もしそうならこの本殿は国宝級なのだが。

白い蔵の脇には殺生供養の石碑。

本殿左手奥には舞殿。右手は宝物殿らしき蔵。

舞殿。 祭りの日にはここで神楽の舞が見られます。

棕櫚の木が不思議な雰囲気。秩父の寒さに平気なのか? 本殿右手側。

本殿右手奥の裏山にある御神木。 ガキの頃は、倒れそうで怖かった。今でもそう思う。

中が空洞なのに今でも新芽が出ている。生命力の底力だ。

杉の古木。落雷で空洞化してます。

落雷のことは昔お袋に聴いたことがある、と宮司さんに話すと、
「終戦のちょうど一年前、昭和19年の8月15日に雷が落ちて炎上しました。」 と教えていただきました。
後の終戦記念日と同じ日とは…、なにかを感じざるを得ません。
まぁ絃さん、ぱにぽにだっしゅの件でそういったシンクロニシティには寛容であるからして、<何か>はあるんでしょう。
戦争の話題が出たので、太平洋戦争の頃に例の吊り橋がなぜ接収されなかったのかをたずねてみる。

撮影しようとしたら、たまたま通りかかった町役場のクルマに乗った職員さんに「故障ですか?」と聞かれたw。 1年半ぶりに来た吊り橋。 現在の基準では有り得ない、繊細な橋脚が素敵だ。

理由は単純でした。
その昔、この吊り橋のみが山奥へ続く唯一のルートだったそうです。生活道路じゃ接収されなくて当然。
そのため現在も残っているんだけど、今は通る人も無く…。
つまり、新道が出来て旧道になってしまった現在の道が実はそれすらも<新道>だった訳で.
時の流れとは、げに諸行無常也。
「<祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり>平家物語ね。」
絃さん読んだこと無い。 私も無いよ〜。

(・∀・)人(・∀・)ナカーマ。

ユータ 「読めよ、おまえらw。」


この日、宮司さんから12月第二土・日に鉄砲祭りがあると聞く。
その日はぜひ伺いますと約束して帰路につくことにしました。


次回、馬。触ってるのは絃さんの手。 馬っw。

「UMA?」 未確認生物じゃねーっつうのw。


photo27 10/01/12 UP

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