BMW isetta 幻のプロト・タイプ(クラウス・モデル)
BMW本社は1955年、好調な売り上げを記録していたイセッタ300に
更なる市場の拡大を期待して新規モデルの投入を決定した。
当時、かなりの販売台数を記録していたイセッタだが、
市場の要求に応える形で「大きなイセッタ」を計画するのである。
ただし、いかにBMWといえど、当時の開発能力と生産設備及び資金面では
おいそれと新型車の投入とはいかなかったので、自社での生産はせずにまずは下請けに試作を発注することにした。
BMWに依頼された数社のうち、アメリカ・カリフォルニアにあるディーラーは、
ノーマル・カーをストレッチしてリムジンを作る技術があったので、
イセッタのロング・ホイールベース・モデルを依頼された。
このディーラーのオーナー、クラウス氏はドイツ系アメリカ人で、
戦前の高性能なBMWを知っており、「いずれBMWは復活する」と信じ、
家族と共に終戦後すぐに渡米、BMWの販売をしていた方である。
西海岸での販売に尽力していた彼は、快く引き受けた。
BMWとの契約試作台数は2台。
そして、彼の許でストレッチされたロング・イセッタが完成する。
それは前後に伸ばされたボディに、右側のみ新たなドアを新設したものであった。
アメリカのリムジン製作の定石に則ったものである。
試作した2台は、ドイツから担当者が来るまでディーラー預かりである。
その際、試作車と共に生産設備を視察することも契約の一部だったからである。
彼の店はモントレーにあり、依頼された翌年にラグナ・セカ・レースウェイが一部公開され、テスト走行が行われた。
なんとここでクラウス氏は、出来たばかりのロング・イセッタを持ち込んでいたのである。
彼の思惑は『ここで目立てばうちのディーラーやBMW本社にとってプラスになる。』だった。
地元のディーラーで、レースウェイにも多額の寄付金を出資していたクラウス氏にとってみれば
テスト走行に顔を出すことは、想像に難くない。
とはいえ、彼を知る多くの友人も、『まさかイセッタで走るとは・・・。』だったそうである。
一周4km弱のコースとはいえ、ノーマルのイセッタの300ccエンジンを積むロング・イセッタでは
気の遠くなるほどの時間が掛かった。
コース関係者が「どれだけ時間かかるか?」と計測までする始末。
さすがにクラウス氏も飽きたらしく、3周目で切り上げるつもりでいた。
コース上には数台のレース・マシンも走っていた。
一台のマシンにかわるがわる取材記者が乗り込み、コースに出て行く。
お目当ては当然、名物になるであろう<コーク・スクリュー>。
1周目は流すが、2周目は飛ばす。
たいていの取材記者がそうだった。
そして3周目、クラウス氏のイセッタがコーク・スクリューに差し掛かった時、
取材記者の乗る<2周目>のマシンがイン側に強引にねじ込んできたのである。
長い登りをようやく終えて、比較的のんびり走っていたクラウス氏は、慌てて右にハンドルを切るが、
すでにコーク・スクリューの入り口に差し掛かっていた彼のイセッタはバランスを崩す。
さらに、アウトに膨らんだラインを元に戻すため強引にステアリングを左に切ったため、イン側のタイヤが浮いてしまった。
数mの落差があるここでは、次に待っているのは下り右コーナー。
まずいことにここで彼は、スロットル・ペダルから足を離してしまったのである。
もとより後輪のトレッドが50cmしかないイセッタ、
それが600mmもホイール・ベースを伸ばされたのでは不安定になって当然である。
しかも、左前輪が<浮いて>いるのである。
前輪が一気に接地すると、その反動でクルマは左に横転してしまった。
当時、コース脇で一部始終を見ていた関係者は、
「クルマがツイストを踊っていた。」そうである。
イセッタは数回転した後コース脇でようやく止まり、人々はクラウス氏の救助に急ぐが、
遠めに見てもルーフが変形し、生存空間の無いイセッタを見て誰もが最悪を想像した・・・。
最初に駆け寄った男が、驚きの声をあげる。
そこには、シートの背もたれを倒してリア・シートあたりで笑っているクラウス氏がいたのである。
むろん、ヘルメット越しで表情のすべては見えなかったが・・・。
彼はしかし、このままの体勢でしばらく出られなかった。
駆けつけた人々の誰一人、変形したイセッタのドアを開ける道具を持っていなかったからである。
彼は数時間後、モントレーのレスキューによって救出されることとなる。
生死を分けたのは、ストレッチのために補強を加えたイセッタのボディと、
彼の遊び心から設置した、リクライニング・シートだった。
後に病院で、彼はこう語っている。
「まるで、コーク・スクリュー・ブローのようだった。」と。
コーク・スクリューと呼ばれるはこのときからの命名だそうだ。
このことが関係したのかは定かではないが、直後にBMWは新モデル<600>を発表する。
退院し、職場復帰した彼が、このことを知った時も、
「当然だ、BMWは安全な車しか作らん。」
と、笑って言ったそうである。
写真のモデルは、このディーラーで試作した2台のうち、現存する1台。
大破したイセッタは廃棄されたが、残りの一台をBMWとの契約(ディーラー預かり)が切れた後、
クラウス氏が記念に保存していたものであり、
近年になってイセッタ・クラブの会員が譲り受け、レストアを施したものである。
余談であるが、会員の間では通り名の<クラウス・モデル>のほかに、
<コーク・スクリュー・モデル>
とも呼ばれているそうだ。
2007年の独・モトシュトラーゼ誌より転載。
「いや、大嘘です(笑)。まだ欧米じゃ4月1日w。」
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